1979年に世間を騒がせた「三菱銀行人質事件」
事件の結末は犯人である梅川昭美の死によって幕を引きました。
この事件は世間で印象を残す大きな事件なのは当然ですが、気になる点も。
それは「なぜ梅川昭美は女子行員を後で解放してあげたのか?」という点。
男性の警官や人質には卑劣な行いをしていますが、なぜか女性行員のみ扱いが違うんですよね。
梅川昭美と女性行員は知人だったのでしょうか?
今回は「梅川昭美と女性行員の関係性」や「男性と女性で扱いが違っていたのか?」について見ていこうと思います。
目次
梅川昭美の顔画像や経歴
梅川昭美の顔画像や経歴がこちらです。
また「三菱銀行人質事件」の主犯でもある人物です。
- 名前:梅川昭美(うめかわ あきよし)
- 年齢:30歳
- 生年月日:1949年
- 学歴:広島工業大学附属工業高等学校
梅川昭美は幼少期から家庭環境が酷かったようです。
父と母は、梅川昭美が小学5年生の時に離婚。
母は家を出ていき、父は脊髄を悪くし退職しています。
姉も若くして他界してしまい、家族関係は良くなかったことが伺えます。
中学生になった後は非行に走るようになり、結果的に「三菱銀行人質事件」を起こすことに。
高校を中退後に一度、土建会社で就職しています。
ただバイクを盗難するなどで会社を辞めさせられており、社会に馴染むことが難しい人でもありました。
梅川昭美と女子行員は知人関係?
調べてみるとどうも梅川昭美と当時の女子行員とは知人関係では無いみたいです。
この事件の一連の流れを見ていると、なぜか「女性」に対する扱いは男性と比べて優しい方なんです。
銀行を襲った後は、人質の男性と女性どちらにも服を脱がせるような命令をしています。
ここだけを見ると男性も女性も関係無いような人物であると思うのですが・・・。
この後の、待遇といいますか扱いの違いが出てきます。
女性行員に対する扱いについて
女性を解放した理由とは?
「三菱銀行人質事件」では結果的に男性の行員や警官は撃たれてしまいます。
その一方で女性に対する扱いについてまとめてみると
- 親子連れと妊婦の女性は早い段階で解放
- ビールのお返し?で女性客を解放
- ラジオの見返りで主婦の女性を解放
- 再びビールのお返しで主婦の女性を解放
- 特捜部の弁当の見返りで女性を解放
- リポビタンDの差し入れ後に別の女性を解放
- 風邪を引いた女性を解放
- 別の熱を出していた女性も解放
これだけ見ると男性は扱いが酷いと思われていますが
- 親子連れの男の子2人
- トイレを訴えた高齢者77歳の男性
- 無職男性(元警官)
- 負傷していた3人の行員
- 鉄工所所員の男性
というように女性だけひいきした人物でもなかったようです。
事件の内容を見ても、比較的人質の女性には酷い仕打ちをしていません。
特に妊婦や風邪を引いた女性については思いやりがあったようにも見えます。
実際、妊婦の女性については会話をするほどであり、「自分みたいな子を持ったら、母親としてどうするか?」と質問していたほど。
生い立ちや母親の影響があった?
日本で凶悪な事件を起こした梅川昭美。
その一方で生い立ちや母親の影響も関係しているのか調べてみました。
先程、母親は離婚後に家を出たと紹介しました。
その後にその母親の後を追って暮らしていたことが分かっています。
父親との生活はあまり持たなく、結局母親を選んでいたのです。
意外なことに20歳の時には女性と交際もしていました。
27歳の時に別れたそうですが、これまでに何人かの女性とは付き合っていたようです。
ただ女性と喧嘩した時には服を脱がせて外に放り出す行為も。
そして30歳の誕生日。
梅川昭美は仲間(友人?)に「おふくろに心配させたらあかん歳や」と漏らしました。
ここまでの生い立ちを見ていると、特別女性に対する恨みや憎しみがあるわけではないみたいです。
寧ろ、敬う気持ちが強い人間だったのかもしれません。
女性行員が次第におかしくなる状態にも・・・
実はこの「三菱銀行人質事件」の人質だった人に異変があったのです。
本来であれば、「一刻も早く助かりたい」という気持ちがあるはずなのに・・・
時間が過ぎるにつれ不審な行動をするようになりました。
例として、女性行員が警察の本部に「余計なことをしないで」と苦情の電話をしていました。
また、外の見張りをする行員が警察を見ると、それを梅川昭美に伝えるなど・・・。
なぜか自分たちに不利な行動をしていたのです。
これは「ストックホルム症候群」の症状だと言われています。
「ストックホルム症候群」とは「被害者が加害者である犯人と長い間いることで、相手に特殊な好感や感情を持つこと」を指します。
今回で言えば、梅川昭美が人質と長くいる間に、少しずつ自分の境遇や過去を明かしています。
それを聞いた被害者が梅川昭美に対して、特別な思いを持ってしまったというわけです。
実際に人質が梅川昭美を守るように睡眠中は見張りをしたり、解放された後に梅川昭美を守るような証言をするなども発覚していました。
「三菱銀行人質事件」では特にこの「ストックホルム症候群」の存在や恐ろしさを証明した出来事でもあるのです。
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